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日本にリハビリテーター・里親は何人必要か


 日本国内で一年間に保護される猛禽の数はざっと1000羽です。
 建て前としてはこれが実数のはずですが、トビ(全体の約半分ぐらい)なんかは出入りが激しくて報告書作りが面倒で、持ち込まれてすぐ死ぬものは欠落する可能性があります。逆に希少種は手続がややこしいので、やはり、持ち込まれてすぐ死ぬものはカウントされない可能性があります。まあ、すくなくとも1000羽、ということで。

 生き死にに関しても詳細は判りません。統一基準があるわけでもありませんし。全国統計さえなかった10年前に比べれば改善されたと思うことにして、非常に大ざっぱに、保護されたうち半分が死に、1/4に放鳥不可となる障害が残り、1/4が放鳥可能、と仮定します。

 と、年間250羽ずつ、放鳥しなくてはならないことになります。
 やりかたはいろいろあるわけですが(救護リハビリ1同2)、これまた大ざっぱに、一人のボランティアリハビリテーターが年間5羽を扱えるとすると、50人が必要となります。バックアップも考えると100は要るでしょう。都道府県に各2人、ってことになります。きちんとした公立の救護センターや、施設と人員と熱意を兼ね備えた動物園がある都道府県もあるので、もう少し少なくていいかもしれませんが・・・。

 放鳥不可能個体を割り切って殺処分しないとすると、たまっていくのがけっこう大変な数になります。そこそこの技術レベルと考え、飼育下での生存期間を仮に5年とします。と、1250羽分のキャパシティが必要になります。保護されるうちの半分がトビ(生き残りとなるともっと多いかも)なわけで、で、トビは約1キロと体重は中型ですが翼開長は140センチもあるわけで、かなり嵩ばります。エサにもよりますが、糞の臭いも強いほうです。それが600羽です。救護施設は終生飼育が目的ではないわけですし、動物園にしてもそれは同様。ボランティアの里親で600羽・・・かなり厳しいですね。むろん、残りの他種600羽にしたって・・・。

 殺処分も考える必要が出て来ます。だれもやりたくはありませんが、密飼から衰弱死を強いるよりは。
 飼育下でもQOLが保てない(両足切断とか)個体を「優先」するのは当然として、次はやっぱり普通種から・・・とならざるを得ないでしょう。命の重さは同じはず、という美しい理念は大切ですが、現実的にはそうも言っていられなくなりますから。
 
 このトリアージの基準にもよりますが、殺処分を推進したって、やはり300羽500羽ぶんぐらいのキャパシティは必要となりそうです。そこに毎年100や200が加わる、と。
 動物園はほぼ満配です。希少種でさえ引き取り手探しはたいへんなのです。と、300なり500なりのキャパはボランティアで確保したい、ということになります。

 各家庭の面積の問題もありますし、好みの問題もあります。頭ではいけないと判っていても(障害者差別に繋がりますから)、障害を負った個体は見ていたくない、という心理が働くのもさけられません。保護個体は、巣からこぼれて、知識不足から刷り込まれてしまったものを例外としてみんなアガケですから、馴らすのは簡単ではありませんし、馴らすべきとも限りません。猛禽が好きで飼っている人がためらっても仕方ない面があります。

 母集団の数もそもそも足りそうにありません。「猛禽飼育ブーム」のような言われ方をすることもありますが、明確な根拠は見たことがありません。飼育していることを公にする率が増えただけ・・・かもしれません。
 いずれにしても、趣味で猛禽を飼うひとのうちの数パーセントがボランティアへの関心と実行可能な環境を持つと仮定しても、何千人かの飼育者が必要になってきます。
 当然、飼育者数が増えればさまざまな問題も出て来ます。英国BFCの会員は約2,000、英国の猛禽飼育者は約11,000。安易に飼育することの弊害が議論されています。

 が、だからといって、飼育を過度に制限することには賛成できません。後ろ向きです。他の「社会的弊害を持つ趣味」とのバランスをとるのも容易ではありません。
 意識と技術の両面でレベルを高めて弊害をなくすほうがより建設的であろうと考えています。
 現に、放鳥不可能個体の里親になっておられるかたがあります。必ずしも鷹狩りからはじめたかたとは限りません。
 弱った個体を拾って(自費で)獣医師に診せたが完治しなかった、行政に届けたところ、公的な救護施設を紹介されもせず、住所も聞かれず、「あ、そうですか」だけだったのでやむなく引き受けている・・・といった例もあります。
 こうした場合でも、飼育に必要な餌や栄養剤や器具は、「買って飼う」場合と共通です。必要な資材が売られていないとボランティアも出来なくなります。資材を売る店が存続するためには、一定規模以上のマーケットが必要です。その割合は、ボランティアが多くてもむろんよいわけですが、一足飛びにそうならないのはしかたないでしょう。

 すべてを公的に行なえばいい、という立場もあります。
 が、私は、公的な資金を使うのは、「どうしても公的な資金でなくてはならない事業」に限られるほうが健全と考えます。生息地の保全とか、維持とか、大規模な調査研究とか、猛禽と直接関係しないものも含めて。
 また、箱モノ的な発想で集約的に管理する害もあります。そこで何かが起きた時には被害甚大ですし、お役所的人事や管理システムは実は生き物を扱うのに向いていなかったりもします。
 公的な資金を使うのは、弊害を減らすための最低限の規則の作成や運営に限って、ボランティアや、民間の資金を活用するほうがずっとスマートでしょう。遠くの山の猛禽のために税金を余分に払うのはイヤだが、猛禽の里親であるためにかかるお金なら払ってもいい、と考えるひとが存在するのですから。

 殺処分数、過密飼育による衰弱死、公的資金の使用をなるべく少なくしようとするならば、猛禽飼育者の裾野を広げ、かつ、飼育する個体の選択肢のひとつに放鳥不可能が個体がありますよとの広報を進めていく必要がありそうです。
 飼う側も、外国の「珍奇な」種を買って飼うだけでなく、放鳥不可能個体を引き受けることも選択肢としてあり得る、ということを忘れないようにしたいものです。そして扱いがうまくなったならば、今度はリハビリテーターとして・・・。

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copyright Ikuya Hatano 2002
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